『神がこう仰せになる。終わりの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。
そして、あなたがたのむすこや娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。
その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言するであろう。
また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう。
主が大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに月は血に変わるであろう。
そのときに、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう』。(「使徒行伝2」)
聖書では、終末になると、神の力によっていろいろな人が、預言したり、ビジョンを見たり、夢を見たりするようになると言われている。
大辞林(三省堂)によれば、「預言」とは、「神や死霊の意志を媒介し、人々に伝えること。また、その言葉。とくに、超越神によって示された世界の意味・救済の意味などを人々に述べ伝えること」だそうだ。預言はあくまで、神や神霊からビジョンや言葉を預かって伝えるものをいう。チャネリングみたいなものだ。
一方、「予言」というのは、「未来の出来事や未知の事柄をあらかじめいうこと。また、その言葉。」 あくまで自分の意志によるもので、そこに神などの意志が入らなくてもよい。RVなどの超能力者なら、予言ということになるかな。
ネットをヲッチしていると、どうもこのにわか預言者が増えているような気がする。エクレア氏の友人もそのようだ。
こう言うのもなんだが、ある意味自分も神の意志を無理やり代弁させられているような気もしないではない、、、?
このにわか預言者が増える一方で、天や地上で大異変があるというが、今まさに太陽が爆発したり、地震や火山活動が活発化したり、お膳立てが整ってきたように思う。となると、そろそろ近所のガキや、おばさん、隣の爺さんが、幻や明晰夢を見ても不思議でないということだ。
ついでに、聖書では、あるニューエイジ思想のように、みんな仲良くアセンションなんて優しいことは一切言っていない。確かに現実はそういうものなのかもしれないと思う。これらはすべて2000年前に預言されていたことである。
「狭い門からはいれ、滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこから入っていく者は多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」(「マタイによる福音書から」)
乙
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