最後の審判の時。
だいぶ昔、「ヒマラヤ聖者の生活探求」というシリーズものの本を読んでえらく感動し、
しばらくのあいだ意識が高揚していた時期があった。ネットで調べたら今でも売られていた。そのヒマラヤ聖者系(と勝手に決めているが)のメッセージが、知花敏彦氏を通して伝えられている。
すごくシンプルだが、奥が深いと思う。
知花氏は、「最後の審判はすでに始まっています」と述べている。
大方の人は、寝耳に水だと思うに違いない。
これは、物に向かうグループと、精神世界に向かうグループの振り分けということで
まずは、目に見えない世界での振り分けである。
やがて、この振り分けはいろいろな形で現象化してくるのだろう。
地球が波動アップして、「こころ」中心の世界に転換する以上、
「モノ」中心の人たちは地球には居場所がなくなりそうである。
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知花敏彦公式ホームページhttp://www.geocities.jp/chibanathoth/index.htmlxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
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光と闇の振り分け 知花敏彦
http://www.geocities.jp/chibanathoth/yamitohikari.html「精神的、本質的なものへ到達するためには、
今それを成すか成さないかの土壇場に来ています。
ある者は「物」に溺れていくだろう、
ある者は精神世界に向かって行くだろう。
物に向かうグループと、精神世界に向かうグループとこの二つが、
古いエネルギーと、新しいエネルギーの振り分けなのです。
物へ向かうグループの中にも、
チョットした刺激を加えると、精神世界へ向かうべき者がいっぱいいます。
「物」に走っている者は、夜行列車に乗っています。
「物」は陰ですから闇です。
闇に突進する者と、光りに向かって来る者と二つの振り分けです。
●これが最後の審判です。
目覚める者と眠れる者の二つの振り分けが、
もうやがて行われます。
〜 。」
◇補記
「物」というのは現象界のあらゆる結果というか、形としてとらえることのできるモノであって、たとえば自分のお金、建物などの財産であったり、地位や既得権であったり、いろいろだと思う。また、人それぞれにモノである対象が異なると思う。
それに対して、「精神世界」とは「こころ」であって、結果よりも原因、動機や理由といった目に見えない世界を大切にする方向である。このどちらを根本的に大事にするかで、人間の選別が行われつつあるという。結果がこころを支配すればマトリックスの奴隷となり、こころが結果を支配すれば自由となる。どう考えても後者がお得だが、そうは行かないのが世の中か。
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