二兎を追う者は一兎をも得ず
二束のわらじは履けない
二人の主人につかえることはできない

先日、青い薬か赤い薬かという究極の選択について触れた。
これについて違った言葉で考えてみたい。
結論から言うと、この世界には2つの生き方がある。
ひとつは、この世界が与えてくれるものを何の疑問も持たずにそのまま受け入れていくという生き方。もしくは疑問をもっても、それを無視してひたすら我慢、妥協していきていく道。
もうひとつは、この世界に疑問をもって、では真実とはなんだろうと試行錯誤しながら探求していく生き方。さらには、気づいた真実を自分なりに実行していく生き方。
単純に言うと、この2つの生き方しかない。
完全に悟っちゃったらもうこの世界にはいないだろうから。
現在の地球教室の基本課題はどういうものか。
まず、裸一貫でこの世界に投げ出された上で、このメタメタに混乱した世界の中で、いろいろな状況設定のもと、果たして自力で宇宙の真実に目覚められるか。そして、その気づきを魂に焼き付けるために、それをどう生かしていけるか、というようなものだと思う。
実際のところどうかというと、大抵の人はこれに失敗することになっている。
だから、まず気づくこと、これをクリアするだけでも、この世界に生まれた価値があるというものだ。
この世界がこの宇宙で唯一の知的?生命の住む世界であり、そして人間の人生が1回きりであるなら、閉ざされた世界の中で、勝ち負けを競い、優劣を競うというのもある意味わからないではない。
だが、この地球が宇宙の中でもたいして珍しくもない発展途上の単なる島国にすぎず、人間は何回も生まれ変わりながら、いろいろな人生を体験していく存在だということになると、もう話がまったく違うのである。
そもそも人は1回きりだという人生のために、何故に必死になって自分の幸せを追求しようとするのだろうか。さっさと死んでしまっても、結果は同じではないか。
気づけないということは、それはそれで別に失敗とか悪いということではないのだが、似たような環境で、同じようなレッスンを延々と繰り返し続けなければならなくなる。ゲームと同じで、1シーンをゼンクリしないと先へ進めないようになっている。あまり進む様子がないと、メモリ自体が初期化されてしまうこともあるようだ。
ここいらへんの事情に気づければ、話はまったく早いのだが、この世界ではそんなこと言おうものなら、どこからか“キティー・ガイ!”なんて言われちゃうので、黙して語らずがベスト・セレクションという事情がある。
これからの時代は、どうだかわからない。
さあて、ライフライン。逝きますか?
フィフティ、フィフティ........ ?
オーディエンス!なんて。笑)
※まあ、これまでいろいろなことを書いてはきたが、
特にこれが宇宙の真理だなんて押し付けるつもりは全くない。
自分でいろいろ考えてみる際のネタにでもなれば幸いだが。
ちなみに写真のワラジ、どっちも履けそうもない。藁)
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草履の作り方http://members.at.infoseek.co.jp/strawsandals/「先ず初めに草鞋(わらじ)、草履(ぞうり)といいましても作り方、素材等は幾通りもありますッ!
まさにその可能性無限大です☆ここに草履、草鞋のすばらしさのひとつが隠されているのですが、
それはまた別の機会に誰かが語ってくれると思いますので、とりあえず保留です。
今からここに掲載いたしますのは我が協会員が数ある参考資料、
参考文献などを読みさらに試行錯誤を重ねた結果にたどりついたモノを掲載させて頂きます^^v
故に地方や人によって様々な編み方等あるとは思いますが、
あくまで一つの参考程度になればと我が協会員が作る編み方を掲載します。」
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転記コメント(from楽天ブログ)
2006/01/22(Sun)14:35
こんだらは!(流行らせようと必死)
おお、最新ブログのコメントに先客が、お、恐るべしアネハ!(リングにかけろ調)
ホリエモンさんに限らずマネーゲームとイノベーションを混同する自称「起業家」の人達は皆さん退場するでしょう。またイノベーションというと技術革新しか浮かばない経済人達もマトリックスの虜という意味では同類でちゅうかなぱいぱい(幼児退行?)
さて、アセンションとやらが究極のイノベーション足りうるのか、これからが正念場でございます(辛酸なめ子調)(2006/01/22 08
Re[1]
俊平太さん こんだらは。生き方のイノベーションですか。カツラも風に飛ばされるような昨今ですが、出そうで出ないはかごの中のトリさんてことで、意味不明ですが、今後もよろしくお願いします。(2006/01/23 12
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