アセンションへの招待状
SuperStock, Inc.
今年は多くの人が多かれ少なかれ身の回りに変化を感じた年だったのではなかろうか。その変化をうまく受け止めることができた人もいれば、受け止めることができなかった人もいるかもしれない。いずれにしても身の回りになんらかの変化が起こるということは、新しい世界に招かれている証拠だろう。大事なことは、その招待状に気づけるか、気づけないかということだ。
仕事に身も心も忙殺され、そんなこと考える余裕もなかったという人もいるだろう。これもいろいろな意味で今後の方向性というか意志を試されたのだ。そういう状況からいったい何を感じ取っただろうか。しっかりと自分を吟味できれば、それはそれで変化を受け止めることになるのだ。
今年は、病気や怪我に見舞われた人、この世界を早々に去られた人も多かったかもしれない。身の回りに、そんな人のうわさをたくさん聞いたかもしれない。こうした一見災難に見える出来事も、きっと深い意味を持っているのだと思う。今後、それを厄とするか幸とするかは自分次第である。
自分にとっても今年は、大きな変化を経験した年であった。今年はこれまでの人生の縮図が現れたような感じだった。一時期、休日もとれないようなめちゃめちゃ忙しい時もあったが、それはこれまでの生き方のある部分の焼き直しみたいなものだったように思う。今後どういう方向でいくか、その意志が試されたような気がする。また今年は自分のこれまでの人生で中で、不完全燃焼していた部分を整理し、捨てるべきものは捨て、次の荒波に備えるための大事な意味をもっていたのではないかと感じている。
人間嫌いな自分にとっては、逆に沢山の人に接するような機会もあり、さらには気づいたらこんなブログまでオープンにしていた。こうした分野のまとまった文章を書いたのはもう二十数年ぶりのことだ。
またこのようなブログを見てくれる人がいることも、自分にはちょっと驚きであった。タイトルがアセンションときたら、精神世界ではかなりマイナーな分野での話しである。いざというときのために途中から2箇所で同時進行させていたのだが、ちょうど3ヶ月間で、2つのブログを合わせてカウント数も1万を超えていた。検索サイトにも登録したが、特によそにURLを貼ったりなど積極的に宣伝したわけでもない。こんなことだったら、もっと世間的なおとなしい表現にすればよかったかなとも思うが、途中から文体を変えるのも不自然なので、このスタイルを続けている。
ブログも来年はどこまで続けられるだろうか・・・
生活の大半がありふれた何気ないことで占められている。いつもどたばたしているTVドラマのような生活をしている人などまずほとんどいないだろう。そうした何気ない生活のなかでの想いが人生の全てを形作っている。ありふれた日々の中に何を見出していけるか。それが全てである。
このブログを通してご縁のあった方々が、この次元上昇の波を乗り切れることを切に祈っている。
アセンションへの招待状を受け取った人は、さらに磨かれなくてはならない運命にある。こころはますます自然とつながり、内なる目もどんどんクリアになってくるだろう。これまで秘密だったものがいろいろ明らかになるだろう。
来年はさらに実り多き年でありますように。
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