世の終わりの状況とは。
ノストラダムスの1999年も何事もなく過ぎ去った。
結局、すでに5年が過ぎてしまった。
ノストラダムスは人類の絶滅を予言したわけではなかったのだが、
1999年に人類が絶滅するという解釈が一人歩きしてしまったのだ。
どうもこの世紀末の不安心理が、人類操作のために利用されたようにも思える。
この後、2012年にマヤ歴が終わるという話しが出たときには
ノストラダムスの件もあったので、またかあという感じで相手にされなかった。
2012年の歴の区切りに、アセンションが結びついて、世間ではいろいろなことが言われている。自分もとりあえず「アセンション2012」としたのだが、そもそもアセンションと2012年は別物である。
ところで、終わりのときになると、自分のエゴまるだしで生活する人々が大勢出てきてこうあざけるという。「聖書の預言なんてインチキだ、ノストラダムスもインチキだ、昔からこの先もなんにも変わりやしないのさ」。こういう人たちは、アトランティスやムー、ノアの時代など、大昔の文明が水没して滅んでしまったことなど認めようとはしない。
昔と同じように、この世界は、不信仰な人々が裁かれ、滅ぼされてしまう時まで、現状維持されている。
神にとっての時間の尺度は人間のそれとは違って、一日は千年のようであり、千年は一日のようなのだ。ある人たちは遅いと思っているが、約束の実行を遅らせているわけではない。神は、一人も滅びないように、すべての人々が目覚めることを望んで、忍耐強く待っている。
しかし、終末の時は盗人のようにいきなり襲って来る。その日、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるだろう。このように、3次元世界はみな崩壊してしまうのだから、神の日の到来を待ち望んでいる皆さんは、極力、清く信念をもって行動しなくてはならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
わたしたちは、この神の約束にしたがって、新しい天と新しい地、すなわちアセンション後の世界を待ち望んでいる。愛する皆さん。この日を待っている皆さんは、汚れのない、安らかな心で、神のみまえに出られるように努力しましょう。
さて、途中からぱくってみたのだが。乙
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主の日は盗人のように襲って来る「 まず次のことを知るべきである。終わりの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の情欲のままに生活し、「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変わっていない」と言うであろう。
すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し、地は神の言葉によって、水がもとになり、また、水によって成ったのであるが、その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。
しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼされるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。
愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。
このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
しかし、わたしたちは、神の約束にしたがって、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。
愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。 」(「ペテロ第二の手紙」から )
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転記コメント(from楽天ブログ)
2005/10/31(Mon)20:30
こう見ていくと、聖書の人たちはいまから2000年も前に、アセンションのことを語っていたわけで、当時としてもかなり過激な人たちだったのだろう。当時、世界を支配しようとしていたローマ帝国にとって、逆に世界が滅ぶなんていう情報をばら撒いている連中はかなりの危険因子だったに違いない。(2005/11/01 09
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